千と千尋の神隠しが教えてくれる「仕事とは」について書きましょう。
物語の舞台となる主人公が紛れ込んだ世界(以後、仮に「この異世界」と呼びましょう)では“仕事をしない人間は豚にされる”、としています。
仕事を持たない人間を動物にする、つまり人間は仕事をするものだ、という前提を掲げていますね。
その“仕事”についても役に立つのか、役に立たないのか、という根源的な価値観をベースに置くことで一貫させています。
またその異世界では明確な決まり事があり、油屋という娯楽提供業の組織のトップ油婆(ユバーバ)ですらその決まり事を破ることはできません。
人間には仕事があり、仕事には目的があり、社会にはルールがある、ということでしょうね。
この異世界に紛れ込んでしまった主人公の千尋は、この異世界から出ることが出来なくなってしまいました。
この異世界の飲食店で勝手に大皿料理を食べてしまった千尋の両親も豚になってしまいました。
千尋(この異世界では「千」と呼ばれます)が、無事に人間の世界に戻るために最初に行うことは、なんと求職です。
何せ、仕事を持たなければ動物にされてしまい、既に豚に変えられてしまった両親と元の世界に戻ることは出来ないのです。
もちろん、この求職からして容易ではありませんでした。
「人なら足りてる」、「お前に与えられる仕事は無い」など、まさに現実社会のような厳しい反駁の応酬です。
いや、スーツを着てネクタイを締め、就職候補の企業の門戸を叩く自分の姿すら目に浮かんできますね。
「人なら足りてる」と突っぱねたボイラー室の責任者である釜爺(カマジジイ)は、組織のトップである油婆のところに求職相談に行くように忠告します。
というのも、就職をするならばいずれにしても油婆との就業契約が必要となるからです。
釜爺の助力により、リンという先輩職員の案内を得て油婆のもとへと就職をお願いしに行く千。
「お前に与えられる仕事は無い」と突っぱねる油婆。「見るからにどんくさそうで、力も無く、頭も悪いお前などに…」的な理由を突きつける油婆。
「仕事を下さい」しか繰り返さない千。少し約しますが、この繰り返しで千は仕事を得ることとなります。
前提となる世界観があまりにも現実社会の仕組みに忠実なだけに、繰り返すことで職を得ることが出来るのではないか、仕事を創ることが出来るのではないか、とこのファンタジーの世界に新しい共感すら覚え始めます。
さて、仕事を始める千。
与えられた仕事はリンが行う庶務のアシスタント。
拭き掃除から始まり、大風呂の掃除。大風呂の掃除では、その前に好意を与えた顔無し(カオナシ)の助けを得ます。
また、腐り神(クサリガミ)さまがお客として訪れ、鼻を曲げる匂いの中で必死に入浴サービスを提供します。
その業務の中では、ボイラー室の釜爺の助けを得ます。
人とのつながり、助け合いで自分の能力を超えた仕事をこなしていく姿が何とも美しいですね。
実はこの千と千尋の神隠しという物語では、途中からは千は油屋での仕事をあまり行いません。
この異世界に紛れ込んだ千を最初から助け続けるハクという青年に危機が訪れ、ハクを助けるという、いわば千にとっての個人的なライフワークを見出していきます。
ハクを助けるために銭婆(ゼニーバ)のもとへと向かうわけですが、千は与えられた自分の仕事をこなし、上司に外出の許可を求め、旅立ちます。
行く先は電車で6駅、沼の底駅から徒歩数分といったところです。
このあたりの流れは働く自分達にとっても非常に身近に感じるポイントですね。
ハクを助け、自分と両親を助けてもらえるよう銭婆にお願いをしに行くわけですが、まずはハクが銭婆に行った非礼を詫び、きちんと許しを得てからお願い事をします。
そこで銭婆は言いました。助けてあげることは出来ない、と。
「この世界では自分のことは自分でやらなくちゃいけないんだよ」と銭婆は言います。
意を決した千は自分の力を信じ、油婆の元へ戻り油婆が与える試練をくぐり抜けて自分と両親が元の世界に戻るという大目的も果たすこととなります。
さあ、かなり正確に現実社会に置き換えられる仕事感を提示してくれた千と千尋の神隠し。
この映画を通じて「仕事とは…」を語るならば、こんな感じではないでしょうか。
「仕事とは…
役割を営むこと。すなわち、
社会という場で人とのつながりに生じる千万の業務の中に、自分の役割を見出して創り上げ、それを営むこと。更に人間が人間として生きていくうえで自分のために営み続けていくこと。」
と言えるのではないでしょうか。
自分に置き換えると、ひとつひとつが納得や反省や想像に繋がっていきますね…。
新年から感慨深いです。
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1月 03
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